マヤの予言 2012年12月22日 地球最後の日

  中央アメリカの密林に遺跡が埋もれている。
これらの遺跡を残したのは、きわめて神秘な人びと、マヤ人だ。

  彼らは何者だったのか? どこからやってきたのか?
  1773年に有名なパレンケの遺跡が再発見されて以来、探検家や学者や作家は、200年以上、このような問いに悩まされてきた。驚くべき町パレンケは、いまでも完全に発掘されておらず、迫りくる密林にたえず脅かされている。それは新世界の不思議の1つだ。

  パレンケの遺跡は白く輝く石灰岩でできている。ルネサンス時代の石工の技量にも匹敵する、そのみごとな出来栄えのピラミッドや神殿や宮殿は、見る者すべてを驚かせる。しかし、この貴重な宝の価値を正しく評価できるようになったのは、20世紀後半に入ってからだ。多くの主要な建物の壁に書かれた碑文が徐々に解読されてきたからだ。
  マヤ人が、われわれとひじょうにちがった人びとであったことは、だんだんわかってきている。現代人とちがって、マヤ人は最低限の生活必需品のほかには私有財産をほとんど持たなかった。マヤ人は原始的な道具で大地を耕し、トウモロコシその他2、3の作物を育てていた。その一方で、豪華に盛装したマヤの統治者は、土地の豊饒を祈って、風変わりで、面倒な儀式を行なった。マヤは階層社会で、統治者と農民がはっきり区別されていた。
  だが、同時代のいわゆる暗黒時代のヨーロッパ社会とマヤの社会のあいだには、1つ大きなちがいがあった。マヤの民が卓越した天文学者であったことだ。
  マヤ人は自分たちが、太陽の「第五の時代」を生きていると信じていた。さらに、現代の人間が創造される前には、4つの民族と4つの時代があったという。ところが、この古い時代は大激変のためにすっかり破壊され、わずかな生存者が過去の話を伝えるばかりとなった。
  マヤの年代学によれば、「現代」は紀元前3114年8月12日に始まり、2012年12月22日に終わるとされる。このとき地球は、壊滅的な大地震のためにふたたび破局を迎えるのだという。



  古代マヤ人が現在の時代の終わりとして予言した2012年の運命の日が近づきつつある今、われわれは地球の将来に対して不安を抱くことしかできない。

マヤの最後の時代が始まったのは、金星つまりケツァルコアトルの星の誕生した紀元前3114年8月12日だ。
この時代の終わりにあたる2012年12月22日、金星と太陽とプレアデス星団とオリオン座の宇宙での関係がふたたび明確になる。
  かつて金星の出現は夜明けの直前に子午線上のプレアデス星団によって予告された。
つまり、このとき金星は文字どおり「誕生」したのだ。それと同じように、こんどは金星は象徴的に「死ぬ」のである。

  「スカイグローブ」プログラムによると、2012年12月22日に太陽が沈む直前、金星は西の地平線の下に沈む。
そして同時にプレアデス星団が東の空に昇ってくる。太陽が没するとオリオン座が昇ってくる。
これはおそらく、新たな歳差運動の周期の始まりを意味し、象徴的に新しい時代の誕生を示す。地球の地質学的観点から見た場合にこれが何を意味しているのか、われわれには推測しかできない。だが、それは失われた大陸と関わりがあるのかもしれない。
  エドガー・ケイシーアトランティスがふたたび浮上することを予言しただけでなく、千年紀(ミレニアム)を迎えるにあたって別の重要な「地球の変化」が起こると述べた。
モーリス・コットレルと同じく、ケイシーは磁極の移動が大規模な崩壊を引き起こすと考えていた。その多くは地球史を通じてみると周期的に繰り返される性質があり、地形上の変化や運動をともなっていたようだ。

  しかし、世界がこれほど人口過密になったことはない。ケイシーの予言が現実のものになったら、人間がかつて経験したことのない最大級の惨事になる。
ケイシーは、アメリカの東西岸に沿った広い地域が、アトランティスのように、押し寄せてくる海の波の下に消えるだろうと述べている。同時にヨーロッパでも、この「大陸」の海岸部は洪水に呑み込まれ、気候も急激に変化してひどく寒くなるという。これは旧アトランティス大陸が上昇してメキシコ湾流を引き裂き、ヨーロッパの「暖房システム」を断ち切ってしまうために起こるのだ。

  ケイシーは、極の変化がほかの気候変化も引き起こすと述べている。今日の極地方と熱帯地方がもっと温和な気候になるというのだ。

  これらの予言はいずれも、現在の時代が西暦2012年に終わるというマヤの信仰とよく合致する。
もっとも、このような地球変化の起こるメカニズムについてケイシーは述べていない。だが、いまやコットレルの新しい太陽黒点論によって、われわれはその因果関係を解く理論を得た。太陽の磁場こそ、地球の磁場の逆転を引き起こし、激変と結びついているのだ。そうした出来事をどのように考えるべきか。
それは今後の問題だ。しかし、警告がなかったとは、もはや言えないのである。